2014年度 彫刻エッセイ 投稿作品


ご投稿頂いた作品を公開しています。
大賞作品を発表いたしました。(2014年11月18日)
素敵なエッセイの投稿をありがとうございました!
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《エッセイを投稿する》※募集期間終了しました。

【投稿作品INDEX】
タイトルをクリックすると、それぞれのエッセイにジャンプします
「伊藤一洋さんの作品と私」 O.Fさん
「サモトラケのニケ」 小野ゆみこさん
「彫刻の森美術館」 小野ゆみこさん
「私の仏さま」 かぐや姫さん
「彫刻家のいのち」 小野ゆみこさん
「ミロのヴィーナス」 小野ゆみこさん
「彫刻が持つ力」 小野ゆみこさん
「碌山と黒光」 はいじさん
「隅っこの彫刻」 大黒 卓さん
「リーメンシュナイダーの彫刻を見にドイツへ」 石水 典子さん
「ウサギを彫った時のこと」 ジロウさん
「四十の手習い」 sakiさん

「伊藤一洋さんの作品と私」O.Fさん(会社員)

伊藤さんの作品は生物とも物とも取れない未分化で不思議な存在感があって好きになりました。

普段、実用的な世界で生活をしていて、余裕が無いときには作品からは何も感じることは出来ませんが、目の前のことや自分の事を離れて、余裕のある空っぽの心になったときには不思議な感覚を色々感じる事ができます。

微妙な何かを感じられる心を日々のドタバタの中でも維持していけたらと思うと、家に作品があることは大事なことのように思えます。

kazuhiro ito website   http://kaz.matrix.jp

【彫刻エッセイ委員会コメント】
素敵なエッセイの投稿ありがとうございます!

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「サモトラケのニケ」 小野ゆみこさん

ルーブルのエントラスを入って階段の中腹にそれは忽然と現れる。
サモトラケのニケ。
なんという迫力であろうか。高さ328センチという高さもさることながら大きく広げられた翼は今にも羽ばたきルーブルの屋根を蹴破って大空へ飛翔せんとするばかり。
この像に圧倒されない者はまずいないであろう。そして心はニケと共に空へと羽ばたき始める。ダイナミックなニケの翼に乗って大空を駆け巡り遥か地上を見下ろして神様になったような気持ちを味わう。
素晴らしい彫刻は夢の始まり。

【彫刻エッセイ委員会コメント】
ルーヴル美術館の公式ウェブサイトはこちら

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「彫刻の森美術館」 小野ゆみこさん

箱根の彫刻の森美術館は素晴らしい。
大空の下、広大な土地の上にたくさんの素晴らしい彫刻が点在していて、そのひとつひとつといきなり出会う一期一会に近い喜びとときめきがある。
それはまるで地球を散策する旅人の気分なのだ。
具象あり抽象あり、そのどれもがしっかりと地球に根を生やしているようでそのひとつひとつとの「はじめまして」の出会いが実に楽しい。
時間を忘れて心は自由になれる。時間を気にすることなくたっぷりと素晴らしい空間の中で夢を紡いで行く。解放された心がうれしくてときにくるくる踊りながら背中に翼が生えてくる。
アリスのように彫刻の森で迷いながら次にどんな素敵と会えるかときめきながら進んでいくのは至上の喜びである。

【彫刻エッセイ委員会コメント】
彫刻の森美術館は2014年8月1日に開館45周年を迎えるそうです。彫刻の森美術館の魅力を一冊にまとめました書籍も発売となっています。
『箱根彫刻の森美術館へようこそ。』紹介ページはこちら
彫刻の森 美術館 THE HAKONE OPEN-AIR MUSEUM オフィシャルWEBサイトはこちら

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「私の仏さま」 かぐや姫さん

広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像が好きです。ドイツの哲学者が「人間実像の最高の姿」を表したものと激賞したそうですが、そんな評価を聞くまでもなく、一目見ただけでとりこになりました。
本物をしょちゅう拝みに行く訳にもいかないので、絵はがきを飾ってありました。そして小さな仏像が家にやってきてからは、キッチンに置いたり机の前に置いたり、手を合わせなくても心穏やかになった気分です。
この仏像と対峙して生まれた一句が「見えすぎるから半眼の仏さま」でした。私にとっては、川柳まで連れてきてくれる有り難い仏さまです。
何でも無い木から彫り出された形がここまで人の心をとらえるというのは不思議なものですね。
DSC_0037
画像をクリックすると拡大されます

【彫刻エッセイ委員会コメント】
弥勒菩薩半跏思惟像(みろくぼさつはんかしゅいぞう)は1951年に国宝に指定。国宝彫刻第1号とのことです。
弥勒菩薩半跏思惟像を紹介しているWEBサイト「京都じっくり観光」はこちら

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「彫刻家のいのち」 小野ゆみこさん

佐藤忠良さんと舟越保武さんの合同彫刻展を見に行ったことがある。
当時まだご存命だったと記憶しているのでしばらく前のことになるだろう。
佐藤忠良さんの彫刻からははちきれる若さ、溌剌とした躍動感、爽やかな色香のようなものを感じ、舟越保武さんからは静謐、気品、慈愛を感じた。ひとりひとりの像と対峙できる喜びと幸せを心から感じた。素晴らし過ぎてじっくり会話をして時間がたつのも忘れた。
お二人とも80代半ばを過ぎているにもかかわらず体力的にも大変な彫刻と言う創造へのパワーはいったい何なのだろうと驚嘆したものである。そういえばミケランジェロも80歳を過ぎてもその大いなるチャレンジ精神は衰えることがなかったそうだ。昔イタリアでピエタ像を見たときローマ在住の日本の方がツアーに付き添ってくれたのだが彼がそのとき言った言葉が今も忘れられない。
「私は34歳でもうくたびれているのに、彼(ミケランジェロ)は84歳になってもこんなに力強い彫刻が彫れるんですね。うらやましいです」
彼らは皆、彫刻に命を吹き込んでいるのだと思う。自分の分身として。だから像は永遠に輝きを失わないのだろう。晩年になるとやはり作風は次第に変わり年月の渋さと静けさが加わっているように思う。お元気で彫刻に向き合ってくださったおかげで私たちは美しい世界に触れることが出来るのだ。

【彫刻エッセイ委員会コメント】
佐藤忠良、舟越保武、両氏の作品をまとめています。よろしければご覧ください。
佐藤忠良 作品集 Churyo Sato
舟越保武 作品集 Yasutake Funakoshi

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「ミロのヴィーナス」 小野ゆみこさん

ルーブル美術館はあまりにも広い。しかしツアー参加しているものにとっては時間がなさ過ぎる。閉館前にどうしても印象派美術館にも行きたかった私はツアーの人たちと別れて館内を走り回った。とりあえず一番見たかったものを見ておこう。
さすがにモナリザでは長く足が止まった。うろ覚えだが盗難にあった後なのでガラスケースの中に飾られていた。それでも日本に来たときには2秒しか見れなかったので少なくとも20分は食い入るように見つめる。すごい。。。それからまたダッシュ!
エジプト館やその他を走りに走って、いましたっ!ミロのヴィーナスが!
やはりそこはいきなりミロのヴィーナス空間で、さりげなく置いてあるのに圧倒的な存在感で迫ってくる。彫刻にはたいして詳しくなくただ感性だけで見ている節があるのだが、それでも本物にはやはり絶対的な神が宿っているような気がした。呆然と見つめているうちにただただ時間が過ぎていく。ハッとわれに返ってルーブルを飛び出し印象派美術館まで走りに走った。芸術を見に行ったというよりはあのときの私はただのアスリートだった気がする。

【彫刻エッセイ委員会コメント】
ルーブルの敷地面積はおよそ40haだそうです。東京ディズニーランドが約50haということなので、ディズニーランドのエリアを1つ削るとだいたいルーブルと同じ広さということになるようです。2015年12月にはアラブ首長国連邦(UAE)で「ルーヴル ・アブダビ」美術館も開館予定ですね。

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「彫刻が持つ力」 小野ゆみこさん

実は彫刻にはまったく詳しくない。だが見るのは好きで旅へ出るとたいていその町の美術館に足を運びしばしそこに飾られている彫刻たちとおしゃべりをする。
自分が作れないだけに彫刻ってなんてすごいんだろうといつも思う。
固い石なのにたとえば少女像の風になびくおくれ毛などは本当に動いているように見えるし、チャーミングな少女の笑みからは今にも美しいアルトの笑い声が聞こえてきそうな気がする。
素晴らしい彫刻は生きているのだと思う。
独身の頃は時間が出来ると一人でぶらりと美術館へ行き、静かな森を心ゆくまで歩いたものだ。東京に8年間いたので上野は大好きな私の遊び場所だった。その頃気に入りの彫刻もあってことあるごとに恋人に会いに行くように通っていたのだが今ではもう忘れてしまった。今でも好みの彫刻と出会えるとふわっとなつかしく幸せな気持ちになる。彫刻から力をもらえる気がして。

【彫刻エッセイ委員会コメント】
小野ゆみこさんからは素敵なエッセイを複数ご投稿頂きました。「書き始めたらあちこち思い出してちょっととまらなく」なったそうです。そういうものかもしれません。ぜひ皆さまもあまり構えずにまずは筆を取ってみてください。以前の記憶にアクセスすると色々な感覚がよみがえってくるかもしれません。

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「碌山と黒光」 はいじさん

安曇野に佇むチャペルのような碌山美術館。
ここには、荻原碌山の絶作「女」がある。
三十数年前、「女」に逢いたくて逢いたくて、訪ねた事があった。

相馬黒光・・・碌山に芸術の扉を開いた女性。
碌山は黒光に思いを募らせていくが、愛が実る事はなかった。
黒光への強い思いを死の直前まで彫刻に籠め、碌山は「女」を完成させる。
しかし、その直後三十歳という若さで彼はこの世を去ってしまう。
碌山の死後、黒光は彼の日記を全て焼き捨て、中村屋サロンの女主人として駆け登っていく。

黒光がいなければ、碌山の「女」は生まれなかったであろう。
そして、碌山がいなければ、黒光の中村屋サロンも誕生する事はなかったであろう。

黒光は素晴らしき芸術のプロデューサーだったのであろうか?
それとも、青年を手玉にとった稀代の悪女だったのであろうか?

私は、純愛であったと思っていたい。
男女愛、師弟愛、母性愛、無償の愛、芸術への愛、全ての愛をたして馴染ませたような、澄み切った愛であったと思っていたい。

【彫刻エッセイ委員会コメント】
信州・安曇野穂高 碌山美術館のオフィシャルWEBサイトはこちら
荻原守衛(碌山)の「女」は1910年の作。国の重要文化財にも指定されています。

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「隅っこの彫刻」大黒 卓 さん(会社員)

無造作に、ただそこに置かれた彫刻に目がとまる。
記念館の敷地の隅っこに、庭の片隅に、ある成り行きでそこにある彫刻。
草花や苔むした壁と調和して、生態系の一部として溶け込んでいる。

台座に飾られ背景から浮かび上がる作品が作者に生命を吹き込まれたとしたら、
隅っこの彫刻は周りの生きものから命を与えられている。
独立体として空間から権利を勝ち取ることができなくても、
ただそこにあるだけで息づいている。

探索している子供。
ベンチで休憩している大人。
彼らにそっと寄り添ってくれる隅っこの彫刻。

ただそこにあることが美しい。

【彫刻エッセイ委員会コメント】
素敵なエッセイの投稿ありがとうございます!

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「リーメンシュナイダーの彫刻を見にドイツへ」石水 典子 さん(兼業ライター)

私が美大受験の予備校生だったころ、ドイツのヴュルツブルグにあるマインフランケン博物館に行ったことがある。ドイツの彫刻家ティルマン・リーメンシュナイダーの作品を見るためだ。

マインフランケン博物館は小高い丘の城塞の中にある。博物館までの上がる道ではピクニックなのか鮮やかな敷物を広げて談話する家族の姿も見られた。野リスが木と木の間をはねていて、海外慣れしていない興奮もあり不思議の国を夢遊しているようだった。

博物館の中は生温かく空気が重かった。城塞独特の空調なのだろうか。お目当ての『アダムとイブ』を探す。リーメンシュナイダーは祭壇などを作るマイスターだ。彼自身も敬謙なカトリック教徒だった。ただイタリアのキリスト像などに比べて、ゲルマンの気質なのだろう。痛々しい描写が少ない。『アダムとイブ』は腕などの欠損部分もあったが肉体はみずみずしく美しかった。彼ならエデンを追われるアダムとイブは彫ることはないだろう。

リーメンシュナイダーの彫刻は繊細で写実的。そして情感豊かな表情が特徴だ。彫刻群を見て回り、その手の動きや木の肌のなめらかさに毛穴が開く思いがした。私は何周もマインフランケン博物館を歩いた。美大受験も4浪目。そろそろ潮時だった。

売店で分厚い画集を買った。この旅行中、肌身離さず持っていようと布のリュックサックにしまったのを覚えている。

画像『アダムとイブ』(マインフランケン博物館で販売されているしおりより)
アダムとイブ
画像をクリックすると拡大されます

【彫刻エッセイ委員会コメント】
マインフランケン博物館(Mainfrankisches Museum)WEBサイトはこちら
日本で数少ないリーメンシュナイダー本の著者で、自称「リーメンシュナイダーの追いかけ人」福田緑さんのWEBサイトはこちら

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「ウサギを彫った時のこと」 ジロウ さん(自営業)

ウサギを彫るワークショップに参加しました。

木の彫刻は初めてで、本当にできるのかな、
どんなのになるのかなとすごく楽しみでした。

先生からアドバイスをいただきながら彫っていくうちに
木片は少しづつウサギの形になっていきます。

お手本があまりにかわいすぎて、
最初は似せて作ることばかり考えていました。

彫り続けていると、どんどん集中していき、
みなさんとお話しすることもできなくなってしまいました。

彫るうちになぜか飼っていた犬のことが頭に浮かんできました。

一番しんどかった時期にいつもそばにいてくれた私の唯一の仲間。
2年前に死んでしまいました。
いなくなったショックでいまでも顔も声も
はっきり思い出すことができません。

作りかけのウサギのまるいお尻や
背中のラインを触っていると、
手の中に少しだけ犬がもどってきたような気がしました。

ぼんやり思い出した犬の顔を捕まえていくみたいに
ウサギの顔を彫っていきました。

4時間後、いつもそばで私をみていた
優しい犬の顔をしたウサギができあがりました。

先生のウサギとは全く違うけど、
私にとってはとても大事なウサギになりました。

いつかはっきり犬の顔を思い出して、
私の犬の彫刻を作れる日がきたらいいのにな。

その日はそんなに遠い日ではないのかもと、
最近感じています。

【彫刻エッセイ委員会コメント】
大切な想いをエッセイに綴ってくださりありがとうございます。
彫刻家舟越保武氏が著書『巨岩と花びら』で綴っていた「長崎26殉教者記念像」の制作時のエピソードが思い出されます。舟越氏は20人目の聖人フランシスコ・キチの顔が完成した際、その顔が亡き父親の顔に似ていることに気がつき、とめどなく涙を流したそうです。
立体であること、触れること、触れながらつくることの、為せることに想いを寄せました。
よろしければ、犬の彫刻を作られたらまた教えてください。

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「四十の手習い」saki さん

私は美術の授業が苦手だった。
人物も風景も上手く描けない上に、絵の具がにじんで紙がうねってしまうのだ。作ったものを見るのも、見られるのも嫌だった。
大人になってからは苦手なことはしなくてもすむようになり、作ることや描くことを避けていた。

とあるきっかけで、はしもとみおさんの彫刻を知った。
木彫りといえば鮭をくわえた熊の置物のイメージしかなかった道産子なので、はしもとみおさんの作品に純粋に感動した。
リアル!かわいい!
中でも中腰の体勢や開いた口もと。
飼っている柴犬そのもので驚いた。
いつかは本物を見てみたいと思っていたところ、チャンス到来。
東京で展示会が開催されている期間に上京する機会が。思わず犬を彫るワークショップに申し込んでしまった。

まさに四十の手習い。
彫刻家のお二人を先生にしても、そこは美術の劣等生。やはり上手くはできなかったし、時間内に完成できなかった。
でも他の方の作品と並べられても恥ずかしくなかった。
年を重ねて恥じらいがなくなりつつあることは認めるが、自然と苦手なことに挑んでいた満足感があったのかもしれない。
彫刻との出会いが苦手の壁を破ってくれた気がした。

思い返すと私は美術が好きだった。
素晴らしい作品を見ることが好きだった。
自分では表現できないものを生み出している人たちに興味があった。
日常に流されて、いまだ完成していない木彫りの柴犬が、時々私を鼓舞してくれる。
「今からでも遅くない。さあ、やってみよう。」

はしもとみおさん
本多絵美子さん
gallery kissaさん
に感謝。

20140528141802
画像をクリックすると拡大されます
☆前日から出来上がりまでの様子をまとめてくださってます☆

【彫刻エッセイ委員会コメント】
素敵なエッセイを寄せてくださりありがとうございます。
こういったエッセイからエネルギーをもらって、つくってみる人が増えるといいですね。ワークショップ参加の感想なども、どしどしJSCにお送り頂けると嬉しいです。積極的に発信していきます。
以下、WEBサイトのご紹介をさせていただきます。
はしもとみおホームページ
Emiko Honda Website
gallery kissa | ギャラリーキッサ

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